1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 13:46:39 ID:LOnCX40D
愛の兜をしてた戦国武将がいた
3 :公孫参:2006/08/01(火) 14:34:04 ID:sOAdilza
∧⌒∧ ∧彡 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ ( ´∀`) 彡 ・\ < 公孫3率いる白馬義従がこのスレの>>3をゲットだぜ!
§∠ 》|#◎ 彡 人_) \ 易京ヒッキー?空気読め?だから何?
[##フ==) /━━> \__________________
〆(//**/― _ \
/(___) ヽ\\
ε≡≡≡ / /| | ノ /) )
4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 15:18:21 ID:dq8Y1bQb
指が6本ある。
5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 15:27:20 ID:em30lhHy
生まれにコンプレックスがあり、晩年には「俺の母親は、天皇の寵愛をうけて俺を産み落とした」と、起きたまま寝言を言っていた。
6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 07:50:35 ID:5FW/d34B
「彼(秀吉)は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六
本の指(seis dedos)があった。眼がとび出ており、シナ人のように
鬚(barba)が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき
策略家であった」。
本の指(seis dedos)があった。眼がとび出ており、シナ人のように
鬚(barba)が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき
策略家であった」。
ぶさいく秀吉
7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 00:50:52 ID:f7rpZ/dH
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄19 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 18  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄17 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 16  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄15 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 14  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄13 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 12 ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄11 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄10  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄9 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ 8 ̄  ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄7 ̄ ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄ 6  ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ ̄5 ̄ ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄ 4 ̄ ̄ \/
ヽ/ ̄ ̄ 3 ̄ ̄\/
ヽ/ ̄ ̄2 ̄ \/
ヽ/ ̄1 ̄\/
ヽ/ ̄ ̄\/
|∧_∧ |
(・∀・ )へぇ〜へぇ〜へぇ〜
⊂ ) へぇ〜へぇ〜へぇ〜
皿_______
‖/ ̄\ / ̄\ ‖ 初トリビアおめでとう!
‖ / | |‖
‖ / | |‖
‖ / | |‖
‖ /__ \_/ ‖
‖=======‖
8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 00:52:30 ID:ETuZpVr9
9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 17:32:16 ID:vN8918ZJ
10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 19:16:22 ID:H/Dh1EU1
家康らに殺された可能性がある
11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 20:24:39 ID:TzSd8HjO
キモイ
みな知ってるから0へぇ
みな知ってるから0へぇ
12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 16:51:54 ID:DsH+px6j
小惑星がある
13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 14:18:04 ID:kjuyS6JO
実は幸綱が正しい
14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 15:46:15 ID:Ref8rR9B
女の子
15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 15:50:16 ID:fFSJPl4j
ホント
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/31(木) 18:13:25 ID:fBjNng3N
今川氏真の祖父は武田信虎
いろいろある。
17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 00:40:14 ID:cF5Hnjo8
脱糞した天下人がいる
18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 00:43:43 ID:JW/lyrI3
松浦隆信
19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 13:27:21 ID:qAEaS5lt
武田信長という武将がいた
20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 13:41:26 ID:r8clsQQb
糞
21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 14:57:13 ID:4MqdH/3X
一堂に会したことがない
22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:07:19 ID:4MqdH/3X
関ヶ原の戦いに西軍として参加していた
23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:24:12 ID:8lSj6CRe
明治の板垣退助と親戚である。
24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:25:57 ID:0fh2HZq7
25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:35:12 ID:8lSj6CRe
一度も自分のことを「北条早雲」と名乗ったことはない。
26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:36:32 ID:JW/lyrI3
五人もいる戦国武将たちがいる
27 :剥離 ◆plyspK9YWM :2006/09/02(土) 16:56:29 ID:9SQsA4oX
知り合い。小学校の先生をしている。
28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 17:07:47 ID:4MqdH/3X
中学で習った。先生をしている。
29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 17:35:36 ID:LCXzCIvi
しかもその屈辱を晩年まで忘れないために、絵師に描かせたというのは、
大河ドラマ作中で紹介されちゃった超有名な話
大河ドラマ作中で紹介されちゃった超有名な話
30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 17:57:51 ID:usUGge60
他国で狩った奴隷売却利益
31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 18:27:52 ID:8lSj6CRe
三方が原のかなり後(家康の死後かもしれない)に描かれたものである。
根拠:冬なのに、裸足で草鞋を履いているのは不自然。
ポーズが半跏思惟、神となった家康を後世に描いたものである
可能性が高い。
32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 19:48:29 ID:d8hAvgyk
33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 07:15:57 ID:0lYGRZM0
34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 19:08:44 ID:Q2tFOron
溺死
35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 21:33:13 ID:5rUJDsLi
36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:27:38 ID:8XKx73w2
マジで!?w
37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:31:21 ID:8XKx73w2
服部半蔵は
松尾芭蕉かもしれない
38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:21:18 ID:Gm8hYsQj
石田三成の子供。女好きで多くの側室を持っていた秀吉に子供が出来なかったのは種が悪かったから。それなのに茶々に子供が出来たのは三成が豊臣家の事を思い跡取りを作る為に親しい間柄にあった茶々とねたから。
39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:31:23 ID:aKlqmmcJ
大野治長説の方がどっちかってと有力
40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 00:34:30 ID:jrCPYHfs
大河厨の妄想か…
41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 13:00:20 ID:5A5UQgka
42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:47:46 ID:fCulTNaM
馬に乗れず逃げ遅れ、討ち死にした部将がいる
43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 01:51:43 ID:ftocQWbz
落馬が原因で逝去
44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:31:40 ID:zSOSgv65
45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:44:04 ID:Vwz1hN9u
該当人物が有名ドコロで二人いるな。
46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:46:38 ID:uRpB3yMn
ガセ
47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:56:24 ID:KOf/3dL2
伊達政宗は手柄のために味方を一斉射撃した。
言い訳は、「伊達の兵法に敵味方の区別はない」
言い訳は、「伊達の兵法に敵味方の区別はない」
48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 00:49:45 ID:GCuqBgrl
東海一の弓取りと肥前のクマーッ!さん?
49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 21:13:27 ID:hkmqoli9
凄い言い訳wwwww
50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:57:44 ID:vJxgGUH1
51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 01:38:24 ID:2ye0HlJf
クマーは馬じゃなくて輿な件。
52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:24:35 ID:7RndiBmQ
は?馬に乗れなくて輿に乗ってたんだろ?
どっちも
53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:29:32 ID:wY1fFEPF
54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 04:25:42 ID:8ugOp943
55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 04:26:46 ID:8ugOp943
56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 04:27:43 ID:8ugOp943
57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 04:44:54 ID:6SSUpVQY
58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 07:28:02 ID:GOldyIem
人に物をあげる癖がある
59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 02:35:10 ID:ArQ7/ttU
お金を使うときは半端ない使い方をする
60 :名無しさん@お腹いっぱい。 ◆ccqXAQxUxI :2006/09/10(日) 22:49:52 ID:urELS/VS
61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 23:16:49 ID:S044UvwR
三国志の蜀の五虎将みたいなもんかw
62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 01:00:35 ID:VAprPie+
実は素晴らしい剣豪だった。十数名に囲まれ切り捨てた。
63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 01:08:50 ID:8b7vtl0c
優秀な人物で、海道一の弓取りとまでいわれた傑物であった
64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 03:59:34 ID:9jkt7sZD
単に機会がなかったと言うことではなく
一番年上と一番年下では半世紀差があるとか
65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 05:47:20 ID:oT0N2hJR
66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 10:22:05 ID:O8AoKT5O
67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 10:56:06 ID:ad1av39W
68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 11:21:22 ID:zDrdQc1C
戦国時代好きの人間に対してはどのトリビアも中学生レベルに見えてしまう
というレベルのスレなわけです
69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 12:52:09 ID:0+HqctY/
目が見える。
70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 13:06:38 ID:QtFTYU/y
思いっきり字を間違ってる
71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 14:04:25 ID:zU6sa/aa
島原の乱で 名 も 無 き 農 民 に大怪我を負わされた。
72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 05:02:05 ID:w04qzQQv
子供をつくった坊さんがいる。
本願寺の法主で名は蓮如。十三男十四女の子だくさんであった。
生涯で五回結婚(次々に妻が死んだため)し、最後の子が産まれた二ヶ月後に死亡。
本願寺の法主で名は蓮如。十三男十四女の子だくさんであった。
生涯で五回結婚(次々に妻が死んだため)し、最後の子が産まれた二ヶ月後に死亡。
石山合戦で織田信長と争った本願寺法主顕如は彼の孫の孫である。
73 :アラジン:2006/09/14(木) 16:57:23 ID:IIPgPvb5
74 :アラジン:2006/09/14(木) 17:02:49 ID:IIPgPvb5
75 :アラジン:2006/09/14(木) 17:07:50 ID:IIPgPvb5
76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 18:16:44 ID:6Aexejsh
77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 19:10:32 ID:mW76aCsb
もう見てらんない。
78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 21:01:12 ID:V8PeEp0S
ガセ
79 :あ:2006/09/14(木) 21:51:18 ID:W9ErdM8n
食い逃げをして店主から追われた。
地元の創作話らしいけどね。
80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 09:34:15 ID:oQgyf0mj
81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 10:03:57 ID:ZEZGDvp5
82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 11:41:18 ID:Wue2e5QZ
83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 11:54:32 ID:voWTviyN
身長130cmの小男でしかも兎口症
これくらいは戦国好きなら常識だが
穴山梅雪は
穴山梅雪は
鼻がなかった。
84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 14:12:57 ID:rji5sZUB
. └┐__/ ノ ノ ̄/ / ////////////////”
85 :アラジン:2006/09/15(金) 16:42:12 ID:0cibedR7
86 :アラジン:2006/09/15(金) 16:49:31 ID:0cibedR7
87 :アラジン:2006/09/15(金) 16:58:49 ID:0cibedR7
88 :アラジン:2006/09/15(金) 17:13:03 ID:0cibedR7
89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 17:21:59 ID:PfQIqvtW
相続した。
90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:28:20 ID:cotUIl9l
厨房らしい
91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:38:52 ID:voWTviyN
信康母子殺害は
家康主導だった。
92 :アラジン:2006/09/15(金) 20:17:34 ID:0cibedR7
93 :アラジン:2006/09/15(金) 20:41:27 ID:0cibedR7
94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 20:52:36 ID:gCb4Brbw
どこに保管されているんだ?閲覧出来るの?
95 :アラジン:2006/09/15(金) 20:59:01 ID:0cibedR7
96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 21:06:21 ID:voWTviyN
絵なんてものは当人を美化して描くものだ。
当然、宣教師も信長をおだてねばならない立場だし、
写真のように決め付けるのも何だかと思うが。
もっとも幕末の英傑を移した写真も
相当、修整や化粧(男がするんだよね)などで美化しされてるのだが。
相当、修整や化粧(男がするんだよね)などで美化しされてるのだが。
97 :アラジン:2006/09/15(金) 21:17:09 ID:0cibedR7
98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 21:35:01 ID:voWTviyN
文の前半も読んでよ。宣教師の書いた信長の絵なら、
当然、信長をおだてるために美化されていることが予想されって事だ。
99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 01:17:59 ID:9aU+dEbn
反吐が出るほどつまらない
100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 02:48:31 ID:e+iOp8sM
それを言ったらおしまいよ
101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 02:20:15 ID:0pWN6qX/
カッコキモイっていう感じだった。
102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 17:30:51 ID:dA5K40Mr
それはあてはまるようであてはまらないと思う。当時の美的感覚もあるし、西洋と日本でも感覚の違いはあるし。
そもそも外国の身分高い人間の絵だって、全然やばいのもあるしな。
(その場合、当時の美的感覚によるものか、あるいは単に似せたのか、という問題がある)
それに信長の絵は、何枚もの絵のうちから、何人かで集まって、これが一番にてるっつって残された絵だったはずだが。
正直、外国人が頭のまげを書きなれてないっぽいのが丸わかりな絵だけどな。
103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 12:15:36 ID:g8YBPH2O
なにがトリビアでなにがトリビアでないかの区別がつかない。
トリビアスレに来て混乱するのは俺だけじゃないはず(´・ω・`)
104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 22:42:41 ID:hhe/qEmw
血のつながった従兄弟
105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 22:49:36 ID:sEvLGe2g
もともとトリビアってのはこういう一般人は興味がないような小ネタのことだよ
昔から欧米にはトリビアクラブってのがあってそこの会員は西洋史でこの手の話をしてる
大衆向けのテレビ番組をイメージするな
106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 01:07:47 ID:Bg+YvIJu
改行くらいしてくて。
よみづらいよ
107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 13:54:16 ID:JZA5M6+o
あなたも、おなじ、です。
誤字を、なくして、ください、お願いします。
108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 21:50:02 ID:QEEEfTbs
実は信長公
109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 23:17:02 ID:bhJfwMCt
痔であった
110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 09:47:59 ID:EPWnHZt0
1年後の10月10日に死んだ武将がいる
松永さんな。信長公記だか多聞院日記だか
111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:41:38 ID:6J29H5qP
10年後です。ガセビアはやめてください
112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 00:55:46 ID:bnv17vXL
113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 13:03:43 ID:FS9lxyzq
114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 21:03:22 ID:eaNOSe8R
マジで!?へぇ全然知らなかったわw
115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 13:17:45 ID:lAEpZo4s
ソース
116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:22:21 ID:1gELome2
いまもなお影響しているらしい。南部地方の人は同県のローカルではなく山形どすこい?ずんどこ?山形なんとかテレビを見てるらしい
117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 14:35:10 ID:inqd23YM
○○。
って間をおくのはいいんだが、そのあとにちゃんと解説を入れて欲しい。
ソースが小説とかテレビとかね。どの程度信用していいのかわからん。
ソースが小説とかテレビとかね。どの程度信用していいのかわからん。
>>104 なんか、これはこれで完結してて、知って得した気分とどうでもよさを同時に感じられて実にトリビアらしいとリビアだが、どうつながる従兄弟なのかまで書いていただけるとありがたい。
118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 18:48:08 ID:Mbdo6m0i
>>104ではないが、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E7%BE%A9%E6%B8%85
119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 10:01:17 ID:cToL3nVr
wikiをソースとして使うのはやめような。
120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 02:55:28 ID:BjcopOaJ
121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 03:57:16 ID:QtsU0g5S
122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 06:08:17 ID:a3lECUde
123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 13:31:42 ID:vIJn+zpc
夜中に灯りを持たずに入ると大変な事になる。
トリビアでは無いが一応。
124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 14:21:20 ID:igRFzWTa
大変な事って何だろう…
125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 14:32:02 ID:jpM26mnz
嘘?
126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 15:39:03 ID:LXgJn8+7
http://magical.s162.xrea.com/futaba/history/src/1155919659300.jpg
これのことかな???
127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:07:45 ID:vIJn+zpc
出口がわからないんだ。マジで。
128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:16:49 ID:1O/MHI2v
桶狭間の戦いで討たれる直前はかなり抵抗してた。
補足、義元は服部小平太に切りかかれるも逆に脚部を切った、そして毛利新助と
乱闘になるが遂に討たれるまた義元は乱闘の間に新助の人差し指を噛み千切るほど
抵抗してたそうだ。
乱闘になるが遂に討たれるまた義元は乱闘の間に新助の人差し指を噛み千切るほど
抵抗してたそうだ。
129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 16:31:18 ID:LXgJn8+7
でもキモい
130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 05:31:02 ID:e4aJFguz
のは実はウソ
本当は豊臣家の残党に斬り殺された、ソースは俺の脳内
131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 08:24:25 ID:78eFl9fN
(^^)
132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 10:53:26 ID:3YiR7mJO
(^^)
133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 22:46:45 ID:bkIXAZFm
していたほうが説得力がある。
134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 00:40:35 ID:EDmP/LCG
(^^)(^^)
135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 12:17:33 ID:oW9LGUbZ
136 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 09:02:40 ID:lr+Fu8iT
地元じゃ名君とよばれているらしい
二人の地元がどこだかしらんけど
137 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 10:42:52 ID:YmoBk8bh
実は明治時代以降の発見
138 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 11:17:51 ID:VxQbJm9H
139 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 11:26:56 ID:fP7qsM5B
大名は朝鮮起源
140 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 11:54:27 ID:RF02d6VI
へぇ
141 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 13:41:52 ID:VxQbJm9H
武田信玄に名付けられ、生きている間は一度も幸村と名乗ってない。
142 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 14:43:11 ID:osdMpX+n
剣豪・塚原卜伝、上泉伊勢守が戦場で主に使っていた武器は槍
剣豪・宮本武蔵を倒した時の武器は単なる石
143 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 19:15:37 ID:/JEbA/ZA
144 :項龍:2007/01/02(火) 19:57:48 ID:Z7CiRnso
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ヽ/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄17 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/
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⊂ ) へぇ〜へぇ〜へぇ〜
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145 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 20:02:30 ID:C94oLZXP
アッー!
146 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 23:10:50 ID:jTbYNXqL
へーへー
147 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/02(火) 23:38:04 ID:m5NV30ys
148 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/06(土) 21:17:33 ID:idq6ur/A
149 :greatirubon:2007/01/10(水) 14:21:44 ID:Y0bHR19Q
俺の五代前のご先祖様
150 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 15:59:53 ID:ONPM68kI
九州じゃ今でもその意味でも使ってる
151 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 19:16:53 ID:YovBtr8t
152 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 21:16:17 ID:I9sXJ33u
153 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/10(水) 21:27:56 ID:x9k4pax4
154 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 22:17:10 ID:Bnsl72iQ
蒔絵の超豪華なおまるを献上された事がある。
155 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 22:23:50 ID:XCv4rRQ/
156 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/22(月) 14:45:53 ID:ajaFiZA0
織田信長の台頭を予言していた
詳細:彼の発言を家臣がまとめた「朝倉宗滴話記」に
「織田上総介の行く末をもう少し見届けたい」と言ったような事が記されている
「織田上総介の行く末をもう少し見届けたい」と言ったような事が記されている
157 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/06(火) 21:23:53 ID:X6cCXpjD
158 :人間七七四年:2007/03/13(火) 19:39:03 ID:H6IFKeay
159 :人間七七四年:2007/03/18(日) 20:08:35 ID:gyIYzYL4
信玄よりも長生きした
160 :人間七七四年:2007/04/24(火) 22:52:41 ID:KfITx0em
お歯黒をして輿に乗っていた
161 :人間七七四年:2007/04/25(水) 02:19:23 ID:3BbhL88m
162 :人間七七四年:2007/04/25(水) 02:58:13 ID:3Bfbnbkk
実は信長の妹じゃない
163 :人間七七四年:2007/04/25(水) 03:16:00 ID:gAiFo0tf
優良パチンコ店 エイト○ン
に行こう! 遠隔(※1)をやっていないパチンコ店は「エ○トワン」だけ!
違法ロム(※2)を使っていないパチンコ店も「エ○○○ン」だけ!
人通りの多い時間帯、店の入り口付近の席でドル箱つんだサクラが座ってないのも「エ○○○ン」だけ!
違法ロム(※2)を使っていないパチンコ店も「エ○○○ン」だけ!
人通りの多い時間帯、店の入り口付近の席でドル箱つんだサクラが座ってないのも「エ○○○ン」だけ!
詳しい方はご存知の通り、どんなにパチンコの遊戯人口が変動しても、その市場規模は変わりません(※3)。
要するに、客が減っても、残った客から絞り盗る量を増やして調整しているのです。
しかし、何故それが可能なのか?…ご理解頂けると思いますが、9割以上の店が確実に遠隔等を行ってます。
1万店以上のパチンコ店の中で、遠隔も違法ロムも確実にやってないのは「エ○○○ン」ただ1店です!
要するに、客が減っても、残った客から絞り盗る量を増やして調整しているのです。
しかし、何故それが可能なのか?…ご理解頂けると思いますが、9割以上の店が確実に遠隔等を行ってます。
1万店以上のパチンコ店の中で、遠隔も違法ロムも確実にやってないのは「エ○○○ン」ただ1店です!
※1…遠隔とは
「お、あの客は新顔だな。勝たせて味を占めさせるか。遠隔操作で設定変更しよ」
「客が減ってきたな。ま、設定を絞めて(違法)、1人あたりから搾る量を増やせばいいか」
「あのオヤジ負け続けてるからそろそろ辞めるかもな。今日は勝たせてやるか」
「お、あの客は新顔だな。勝たせて味を占めさせるか。遠隔操作で設定変更しよ」
「客が減ってきたな。ま、設定を絞めて(違法)、1人あたりから搾る量を増やせばいいか」
「あのオヤジ負け続けてるからそろそろ辞めるかもな。今日は勝たせてやるか」
※2…違法ロムとは
「うちのアタリ確率は、もちろん他と同じ『○○○分の1』ですよ!(ロムいじってるからウソだけど)」
「うちのアタリ確率は、もちろん他と同じ『○○○分の1』ですよ!(ロムいじってるからウソだけど)」
※3 市場規模 遊戯人口
平成06年 30兆4,780億円 2,930万人
平成08年 30兆0,630億円 2,760万人
平成10年 28兆0,570億円 1,980万人
平成12年 28兆6,970億円 2,020万人
平成14年 29兆2,250億円 2,170万人
平成16年 29兆4,860億円 1,790万人
平成06年 30兆4,780億円 2,930万人
平成08年 30兆0,630億円 2,760万人
平成10年 28兆0,570億円 1,980万人
平成12年 28兆6,970億円 2,020万人
平成14年 29兆2,250億円 2,170万人
平成16年 29兆4,860億円 1,790万人
164 :人間七七四年:2007/04/25(水) 05:10:30 ID:0fmmL6nE
165 :人間七七四年:2007/04/26(木) 01:13:57 ID:9OPSILM+
親子みたいに年が離れてる兄弟が多々いる
166 :人間七七四年:2007/04/26(木) 03:44:24 ID:9NG2iDgk
女だった
167 :人間七七四年:2007/04/26(木) 18:56:07 ID:/twivyEY
楠木正成と観阿弥は
叔父と甥
※「観世系図」によると観阿弥の母は河内の橘正遠の娘となっている
これまでの研究で楠木正成の父が正遠と名乗っていたらしきことと、楠木氏の本姓が橘氏であったことが明らかになっている
これまでの研究で楠木正成の父が正遠と名乗っていたらしきことと、楠木氏の本姓が橘氏であったことが明らかになっている
168 :人間七七四年:2007/04/26(木) 22:13:11 ID:YYE0iYd+
板違いなネタだけど10へぇ
169 :人間七七四年:2007/05/19(土) 00:38:40 ID:xIz9UAB5
170 :人間七七四年:2007/05/21(月) 10:57:17 ID:6+kT0Mrc
信長の共侍らは金の丸鞘に地に引き摺るほどの長い刀を差し
そのこじりには小さな車がつけてあったという
のちのコロ助である
171 :人間七七四年:2007/06/28(木) 23:36:40 ID:SGlKxviZ
172 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/06/28(木) 23:40:31 ID:t1vsf/Tu
家康の曾孫には
家康の子供より年長の者がいる
173 :人間七七四年:2007/06/29(金) 15:46:20 ID:4uKjI9DI
セックスには人一倍まじめで避妊やテクニックの書物まで書いている。
ちなみに久秀はかなりの男前だったらしい
ちなみに久秀はかなりの男前だったらしい
174 :人間七七四年:2007/06/29(金) 18:56:37 ID:dkkalaNw
松永久秀が実は美男の教養人だったってのは何かで見たな。
ノブヤボでは青あざをデフォルト装備してるが。
ノブヤボでは青あざをデフォルト装備してるが。
藤堂高虎の父は
藤堂虎高
175 :人間七七四年:2007/06/30(土) 05:06:36 ID:8VGWKKoQ
主人公のオペラがヨーロッパで上演されていた
神聖ローマ帝国のエレオノーレ・マグダレーナ皇后の聖名祝日(7月26日)の祝いとして
戯曲「気丈な貴婦人」(グラーシャ)として1698年7月31日に上演されている
オーストリア・ハプスブルク家の姫君達に特に好まれたらしく
エレオノーレ・マグダレーナ、マリア・テレジア、マリー・アントワネット、
エリーザベト皇后などの生き方にも影響を与えたと言われる。
以上WIKIより
戯曲「気丈な貴婦人」(グラーシャ)として1698年7月31日に上演されている
オーストリア・ハプスブルク家の姫君達に特に好まれたらしく
エレオノーレ・マグダレーナ、マリア・テレジア、マリー・アントワネット、
エリーザベト皇后などの生き方にも影響を与えたと言われる。
以上WIKIより
176 :人間七七四年:2007/08/06(月) 18:20:55 ID:6tIwT/eZ
見事な絵が描かれており、金箔も使用されていた。
後日、そのことを聞いた者が同じような物を徳川家康に献上した。
しかし、家康は「糞が絵を見るか!!」と言って破壊してしまった。
177 :人間七七四年:2007/08/06(月) 23:01:13 ID:odp+jxZb
身長:190cm、体重:160kgの、贅肉ボブサップだった。
(かまぼこ大好きっ子で、その体格から馬にも乗れず刀も脇の肉がジャマで振れなかったとか)
(かまぼこ大好きっ子で、その体格から馬にも乗れず刀も脇の肉がジャマで振れなかったとか)
178 :人間七七四年:2007/08/07(火) 02:33:03 ID:4Er9vHGm
伊達政宗の子孫である
179 :人間七七四年:2007/09/08(土) 17:31:57 ID:tb4/au3A
180 :人間七七四年:2007/10/09(火) 22:14:38 ID:TtmNCgL/
181 :人間七七四年:2007/10/10(水) 15:07:02 ID:oGz26LwK
182 :人間七七四年:2007/10/24(水) 00:32:23 ID:olxgSGey
いなかった
183 :人間七七四年:2007/10/24(水) 00:33:12 ID:AJTjMvEt
184 :人間七七四年:2007/10/24(水) 17:08:58 ID:6egYcRS5
石田三成の子孫。
三成の曾々孫あたりが、徳川家光の側室のお振の方。
そのお振の方の娘が尾張の二代藩主に嫁いで三人ぐらい男子つくってる。
その男子の家系が宗春まで続いてる。
そのお振の方の娘が尾張の二代藩主に嫁いで三人ぐらい男子つくってる。
その男子の家系が宗春まで続いてる。
185 :人間七七四年:2008/03/02(日) 22:36:41 ID:1feLO3ae
186 :人間七七四年:2008/03/10(月) 14:58:48 ID:20xA8Yqm
187 :ちゅ:2008/03/10(月) 15:57:31 ID:JdQvM4H2
天然痘にかかっていた
188 :人間七七四年:2008/03/10(月) 16:51:45 ID:PvZXHJUj
どゆこと?
189 :人間七七四年:2008/03/13(木) 10:47:27 ID:r+LZEtb9
=在日チョン
190 :人間七七四年:2008/03/13(木) 14:16:38 ID:lM4zEBjM
自分の息子に自分の父親の名をつけた
191 :人間七七四年:2008/03/24(月) 22:05:11 ID:bbzwMt2S
信長が死んだとき、息子の信秀はまだ12歳だから元服前じゃないの?
192 :人間七七四年:2008/03/25(火) 15:50:20 ID:WlQCmdDe
193 :人間七七四年:2008/03/25(火) 19:41:10 ID:C0emtpmw
氏康の祖父は早雲であるが、その妹である北川殿が今川氏親を産み、氏親の3男として義元が生まれたため。
194 :人間七七四年:2008/03/25(火) 23:15:57 ID:oVcLz95x
有名だけど対になる話なので。一応補足すれば伊達政宗とめごを名付けたのは同じ人。
195 :人間七七四年:2008/03/26(水) 23:44:33 ID:nhuyoo54
羽柴秀頼と毛利秀頼(後者が豊臣姓を拝領したため)
196 :人間七七四年:2008/03/27(木) 10:32:37 ID:+eKqKjD8
信長の息子は信忠では?
197 :人間七七四年:2008/03/27(木) 13:54:04 ID:jjV06+Zc
信忠・信雄・信考・秀勝(秀吉養子)・勝長・ 信秀・信高・信吉・信貞・信好・長次・信正 な
198 :人間七七四年:2008/03/27(木) 14:34:29 ID:I/yvtilZ
199 :人間七七四年:2008/03/27(木) 15:25:01 ID:AedZ0sYX
200 :人間七七四年:2008/03/27(木) 16:04:36 ID:AedZ0sYX
201 :人間七七四年:2008/03/28(金) 21:58:37 ID:BAzdmfaC
どうやったら考と孝を間違えるの?
202 :人間七七四年:2008/03/29(土) 16:51:05 ID:+7AmbPtu
203 :人間七七四年:2008/04/03(木) 20:22:23 ID:qpg664Qc
204 :人間七七四年:2008/04/20(日) 02:27:45 ID:xKivTTCT
205 :人間七七四年:2008/04/20(日) 13:51:44 ID:RFGIVSaJ
てかアルコール度数5%でも何升も飲むとか異常だろ
肝機能が相当優れてたのかね?
206 :人間七七四年:2008/04/20(日) 14:43:05 ID:TNPsFdDg
次の日を気にしなければだが。
207 :人間七七四年:2008/04/20(日) 17:35:54 ID:RFGIVSaJ
日本酒は飲みやすいからバンバンのめてしまうが、それだけに飲みすぎてしまいやすいな…
208 :人間七七四年:2008/04/22(火) 14:06:05 ID:5vnjQ2wl
>>151 の岡部云々が、というのは関係ないというのが最近の説。
209 :人間七七四年:2008/04/23(水) 07:29:15 ID:Qt41RUrs
210 :人間七七四年:2008/04/30(水) 05:25:57 ID:PUpSQfXm
ナイフとスプーンを信長が愛用していたのは聞いた事あるんだが…
ってここは質問スレじゃないな
211 :人間七七四年:2008/05/04(日) 20:02:25 ID:3fIx8aSz
212 :人間七七四年:2008/05/05(月) 05:17:51 ID:/cEu6dJh
213 :人間七七四年:2008/05/05(月) 08:57:51 ID:LlocksCD
家康かっこいいw
214 :人間七七四年:2008/05/05(月) 15:01:14 ID:XsmjzxWY
大隅地方、島津と激戦を繰り広げた戦国武将、肝属氏の嫡流嫡子。
215 :人間七七四年:2008/05/06(火) 07:11:51 ID:3a5PV+wR
家康に糞の話題はタブーだったんだろうな
216 :人間七七四年:2008/05/15(木) 21:44:31 ID:naph/gXi
戦国の脱糞公に対して失礼だよなw
神君だったらその場でちびるっつ〜のww
神君だったらその場でちびるっつ〜のww
217 :人間七七四年:2008/05/15(木) 22:52:10 ID:I97Qu4Kd
謙信は言うまでもない
218 :人間七七四年:2008/06/23(月) 23:07:57 ID:1BGQrYxZ
後にも先にもこの天主で実際に生活した城主は安土城の信長だけ。
219 :人間七七四年:2008/06/23(月) 23:18:56 ID:uP+Yco+e
中馬だったかな。
殿様は最後の最後は切腹するんだから食わんで良い、
守る俺たちが食う、という理屈。
220 :人間七七四年:2008/06/24(火) 02:27:36 ID:8j1gvnxZ
ナイフとスプーン使って16世紀の日本で何食うの?
味噌汁?タクアン?
221 :人間七七四年:2008/06/24(火) 02:30:05 ID:o9t/Q1oZ
ところで>>219に書いた話は、関ヶ原からの撤退時の話ね。
222 :人間七七四年:2008/06/25(水) 12:33:04 ID:scTxwdL+
加藤清正は厠に入ると一刻以上出てこなかった
ひどい「ぢ」だった
223 :人間七七四年:2008/06/25(水) 17:29:11 ID:dYxDoz1U
224 :人間七七四年:2008/06/26(木) 04:13:36 ID:wxgvvpFJ
225 :人間七七四年:2008/06/26(木) 22:02:30 ID:EyVhpYDv
朝鮮の王子に神様として崇められたりしたな。
熊本のもんはwe love清正だ。
細川?何すかそれ?
ヽ(´ー`)ノ
清正公にお預かりしますとお参りして藩主になった人たちだろ。
ヽ(´ー`)ノ
清正公にお預かりしますとお参りして藩主になった人たちだろ。
226 :人間七七四年:2008/06/27(金) 02:12:22 ID:W8WfjajX
227 :人間七七四年:2008/06/27(金) 02:46:25 ID:slnpkwQm
228 :人間七七四年:2008/06/27(金) 06:04:56 ID:ZR9fonLg
熊本城の重要史跡の宇土櫓は小西の宇土城のものなのに・・・
よくわからん基準で斬られたし
(石田と安国寺は精軍首脳だから仕方ないとして小西は別に中心でもないし
宇喜多みたいに激闘してるわけでもないしむしろやる気なかったというのに)
朝鮮だって講和にがんっばったのは宗と小西なのに
一方は清正公と神になり小西は墓すら残っていない・・・
229 :人間七七四年:2008/06/27(金) 11:43:00 ID:slfENPHj
毒針で穴だらけ饅頭の話もうすこし詳しく聞きたい。お願いします
230 :人間七七四年:2008/06/27(金) 12:28:32 ID:RJNaq1Vn
主力を欠いた小西行景(行長の弟)の守る宇土城を落とせなかった
・しゃぼん玉の名付け親は石田三成
・戦国時代では合戦のとき基本的に馬から降りて戦っていた
231 :人間七七四年:2008/06/27(金) 12:29:17 ID:TE5BNDAs
第2ヒント:毒まんじゅう wikipedia
232 :冬広:2008/06/27(金) 13:40:38 ID:NkNOCKW3
火縄銃を使って自殺した武将がいる
233 :人間七七四年:2008/06/27(金) 15:21:34 ID:3eoIqqks
どうやって?
234 :人間七七四年:2008/06/27(金) 16:11:42 ID:V2hHka87
包茎
235 :232:2008/06/27(金) 17:24:13 ID:KrqzIiLY
荒木村重の家来で、頭をぶち抜いて自害したんだと。
勇気あるのか、チキンなのかよくわからん武将だなw
236 :人間七七四年:2008/06/28(土) 11:34:53 ID:xUUOVraW
規則正しく1日3回、朝昼晩
タバコを吸っていたwwwwww。
237 :人間七七四年:2008/06/28(土) 11:49:50 ID:xUUOVraW
明智光秀は、山崎の合戦の直前、
緊張のあまり、チマキを竹の皮ごと口に入れ
噛み切れないのにも気がつかなかった。
緊張のあまり、チマキを竹の皮ごと口に入れ
噛み切れないのにも気がつかなかった。
国宝「洛中洛外図」は
信長から謙信に送られたもの。
手取川の合戦以外は、そうとうに親密な関係にあった。
信長から謙信に送られたもの。
手取川の合戦以外は、そうとうに親密な関係にあった。
〜おまけ〜
上杉家(謙信時代)の収入源の中で
大きな割合を占めるのは、
上杉家(謙信時代)の収入源の中で
大きな割合を占めるのは、
港、関所、産物(塩、米など)に付けた
「取引税」
238 :人間七七四年:2008/06/28(土) 13:44:02 ID:tDC6r//j
しかもそれは本能寺の変の直前であり
皮ごと食ったのもてんぱってたからではなく
はやる気を抑えるためとされている
239 :人間七七四年:2008/06/28(土) 14:18:47 ID:TjSqqWD4
どんだけぇどんだけぇ
240 :人間七七四年:2008/06/28(土) 23:21:15 ID:l4tiYESM
戦国でもかなり低い。
241 :人間七七四年:2008/06/29(日) 00:39:59 ID:RzneC1j3
小学生かよw
でもそんくらいじゃ当時の馬との相性抜群じゃん、
やっぱ武田の騎馬隊はあったかな?
242 :人間七七四年:2008/06/29(日) 01:39:40 ID:/V1y/yZ8
なかったと主張してるひともいるな。
論文よんだことないが・・・
俺としては、馬で単騎突っ込み大量の銃弾浴びてて落馬、死んだあとも采配を口にくわえたままだった。というエピソードが好きだった。
赤揃えは、後に井伊や真田も影響受けてるから、小さくても戦闘力高いオヤジだった。
243 :人間七七四年:2008/06/29(日) 11:57:29 ID:wl/ZpQFb
「日本では戦う時には馬を下りる。
日本の馬はほとんどがポニーで、体高120〜130cmほどしかない」
と書かれている。
実際、戦場外れに「馬溜り」というものがあってそこに集められていた。
国産馬は山県昌景にはちょうどピッタリのサイズ。
244 :人間七七四年:2008/06/29(日) 12:59:11 ID:3yHL5f50
念の為突っ込んでおくと
フロイスは、馬上戦闘の技術と習慣が無い西国武将しか見たことが無い上、
体長120〜130のポニーは一般的な西洋騎士の騎馬と同レベル。
西洋騎士はあの程度の馬でプレートメイルランス突撃できてる。
山県なんて余裕だったはず。
245 :人間七七四年:2008/06/29(日) 13:35:21 ID:wl/ZpQFb
武田騎馬隊を検証する番組で、体高(ちなみに肩の高さ)125cm前後のポニー数頭集めて
155cmの男性に35kgの錘をつけて走らせたら、100〜150mでどの馬も
動かなくなってしまった。
騎馬突撃はムリだったんじゃないか?
という結論だったと記憶している。
当時西洋の馬は平均150cmだったと思うが
246 :人間七七四年:2008/06/29(日) 14:02:31 ID:KNZvB1x3
> 武田騎馬隊を検証する番組で、体高(ちなみに肩の高さ)125cm前後のポニー数頭集めて
> 155cmの男性に35kgの錘をつけて走らせたら、100〜150mでどの馬も
> 動かなくなってしまった。
当たり前だ。どんな種類でも訓練を受けていない馬がいきなりそんなことが出来るか。
きちんと戦闘用の調教を受けて初めて軍馬になる。
きちんと戦闘用の調教を受けて初めて軍馬になる。
247 :人間七七四年:2008/06/29(日) 18:29:24 ID:BbE5m3rn
248 :人間七七四年:2008/06/29(日) 19:31:53 ID:6dA/Uc6K
犬だって訓練しないと警察犬にもなれない
殺し合いの場に突撃させられる馬なんて尚の事だな
249 :人間七七四年:2008/06/29(日) 20:10:45 ID:bJuciW3a
250 :人間七七四年:2008/06/29(日) 20:54:46 ID:aY486I4b
馬の肩の高さ
以外に知らない人が居たりして驚く
251 :人間七七四年:2008/06/30(月) 18:21:30 ID:rsJ7r96b
馬並み
252 :人間七七四年:2008/06/30(月) 18:45:52 ID:8lwhKIVn
その感想を「誠に気を散じ候」(スゲーすっきりした)と手紙に書く。
どんだけだよ・・・
253 :人間七七四年:2008/06/30(月) 20:23:03 ID:QPU7RMLp
254 :人間七七四年:2008/07/07(月) 21:35:19 ID:VJLWsssR
ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org22663.jpg
ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org22665.jpg
はい全く似せられませんでした。
はい全く似せられませんでした。
255 :人間七七四年:2008/07/07(月) 21:36:15 ID:VJLWsssR
256 :人間七七四年:2008/07/08(火) 01:37:48 ID:8FLJWusa
|彡サッ
257 :人間七七四年:2008/07/08(火) 14:36:28 ID:gkEsei8Z
|彡サッ
258 :人間七七四年:2008/07/08(火) 14:48:10 ID:+YbUeYI+
全兵力における騎馬の割合は北条軍の方が多かった。
各家の着到状の比較で
259 :人間七七四年:2008/07/14(月) 10:51:04 ID:5QkDK6uy
甲斐の虎
でもって、北条氏康は相模の獅子っていうらしいよ。
覇王伝の武将ファイルに載ってた。
一般的かどうか知らん。
260 :人間七七四年:2008/07/14(月) 20:54:31 ID:JRyxy9rI
バルバロッサ作戦当時の、ドイツ軍の戦車は三千輛程だったのに、ソ連は実は一万輛以上持ってたってのと、一緒だ。
261 :人間七七四年:2008/07/15(火) 02:38:05 ID:AlKY6CLr
「国家安康」「君臣豊楽」
実際は、撰文者である文英清韓が、まさに幕府が問題視した内容そのままに、意図的に織り込んだもの。
清韓自身が弁明書で証言していたりする(『摂戦実録』)
清韓自身が弁明書で証言していたりする(『摂戦実録』)
262 :人間七七四年:2008/07/19(土) 15:51:34 ID:ZaVGU0xd
それ、その二つがでかでかと書かれた鐘を想像してたら何百字もびっちり彫り込まれた
文章のうちのたった八文字で噴いた覚えがある
263 :人間七七四年:2008/08/27(水) 19:24:24 ID:sLDt5gGA
みんなトリビアだすんだ!
戦国時代の農民は、搾取されてるイメージがあるが、実は超狂暴な存在。
農閑期にはいくさにアルバイト的にかかわり、敵国の住人を殺戮しまわった。
落武者狩りの凄まじさ
自軍からはぐれた武将が、農家を見つけ水と食べ物を貰う、よくありそうな話だが、実際はありえないらしい。
自軍からはぐれた武将が、農家を見つけ水と食べ物を貰う、よくありそうな話だが、実際はありえないらしい。
戦国時代の農民は決してカワイソウナ存在ではなかった。
264 :人間七七四年:2008/08/28(木) 21:03:50 ID:+uoBmmQt
まあ、たくましく生きなきゃいけない時代だしな。
上に立つ大名も選んだとも言われている。
>>258みないのでいいなら、長篠の合戦時、実は信長より家康の方が鉄砲を
持っていた。
持っていた。
265 :人間七七四年:2008/08/28(木) 22:38:21 ID:G4pZJsX6
長篠伝説のせいで変なイメージだけ一人歩きしてるけど。
266 :人間七七四年:2008/08/31(日) 02:17:02 ID:3jDrzr8R
当時から宣伝して、敵を威嚇してたのか・・・
それとも江戸時代か近現代の歴史学者か・・・
疑問は尽きないぜ。
267 :人間七七四年:2008/08/31(日) 07:29:36 ID:g2CmWx2u
銃を使った巧妙な戦術が評価されてるんじゃないのか?
馬防柵は実際あったでしょ
268 :人間七七四年:2008/08/31(日) 11:07:01 ID:AkpVdDD0
269 :人間七七四年:2008/09/01(月) 04:13:23 ID:OqZOmtq7
じつはこの「天下」の範囲、畿内周辺に限られたものだった。
その証拠に信長、六角や三好を追い払った時点で、「天下静謐」を宣言している。
その証拠に信長、六角や三好を追い払った時点で、「天下静謐」を宣言している。
270 :人間七七四年:2008/09/01(月) 04:50:27 ID:t8ppktj7
あれ「そうぼり」ってかいてあって
大坂方は「惣堀(外堀のこと)」と解釈して
大阪城の外堀ってほとんど天然の川利用してるし
これはうめられないだろうからいいやっておもったけど
徳川は「総堀(すべての堀)」って解釈できるだろ?ってやって埋めたという
偉大なる神君の知略の勝利って習ったけど違うの?
271 :人間七七四年:2008/09/01(月) 06:36:43 ID:VhzdzqL7
また織田厨の織田信長を美化させるための説か。
「桶狭間の戦いの今川本隊の場所をなんらかの策略で信長は知ってて突撃したんじゃね?」
とかまえ見たが…本当にウザいな織田厨はw
とかまえ見たが…本当にウザいな織田厨はw
272 :人間七七四年:2008/09/01(月) 07:17:54 ID:ge1Bfq7l
しかも別の話題を持ち出してくる始末
273 :人間七七四年:2008/09/01(月) 10:20:18 ID:OqZOmtq7
最初っから全ての堀を埋めると言う話になってる。
内堀埋めるとき豊臣方も抗議していない、どころか、豊臣方からも工夫出してる。
274 :人間七七四年:2008/09/01(月) 12:53:04 ID:VhzdzqL7
>>266-267
275 :人間七七四年:2008/09/01(月) 12:54:47 ID:VhzdzqL7
間違えた
>>265-267
276 :人間七七四年:2008/09/01(月) 13:03:37 ID:WhldsxV8
ギャハハw
277 :人間七七四年:2008/09/01(月) 14:05:14 ID:m/JZi8Xj
堀埋めについては、誓約状に書かれてないし、大阪側の資料も無いと思ったけど……
…元ネタはナニかな?
278 :人間七七四年:2008/09/01(月) 17:27:14 ID:FkfVs6Cg
こういうのをマメに削除していった方がいいと思うなぁ
イスンシンを笑えなくなる
279 :人間七七四年:2008/09/01(月) 17:59:16 ID:OqZOmtq7
吉川弘文堂から出てる、笠谷和比古の「関ヶ原合戦と大坂の陣」に書いてあるよ。
280 :人間七七四年:2008/09/01(月) 22:27:00 ID:m/JZi8Xj
笠谷和比古って、東日流外三郡誌に真作鑑定書出された方ですよね、、、、、
もし本をお持ちなら、その話の根拠になる一次資料書かれているとおもうので、
よければちょっと引用していただけませんか?
よければちょっと引用していただけませんか?
281 :人間七七四年:2008/09/01(月) 22:58:25 ID:OqZOmtq7
ゴメン、今手元に無い。
282 :人間七七四年:2008/09/01(月) 23:19:00 ID:jbnpoTV5
残念だが、馬防柵は別に鉄砲の為に作ったのではないらしい。
家康が作ったとも言われている。危険地帯にいたのは家康だしね。
つか、勝頼の不可思議な突撃が勝敗の分かれ目で、別に鉄砲で勝ったわけでは
ないんだよね。
信長、家康が攻めていたわけだし、信長の戦術がどうのってわけでもないかと。
と、トレビアスレだったね。
信長の三段構えは有名だが、信長が最初に行ったわけではない。
信長の三段構えは有名だが、信長が最初に行ったわけではない。
283 :人間七七四年:2008/09/02(火) 00:05:52 ID:FC1gL2pJ
小和田哲男ならまだしも
笠谷先生までブラックホールに足つっこまれたのか(‘A`)
284 :人間七七四年:2008/09/02(火) 01:50:58 ID:Tkbq+lxZ
信長の三段構えって旧日本軍が応用したって聞いたな
明治陸軍は1発1発装填しないと撃てないからだってさ。
関ヶ原の戦いも研究してたみたいだ。
メッケルていう外人教官は即「イシダサンノカチダヨ」といったらしいが。
285 :人間七七四年:2008/09/02(火) 09:45:21 ID:crBXjLyk
誰が最初に行ったの?
信長側近の福富平左衛門尉が考案したって言う説もあったりなかったりしたよね
286 :人間七七四年:2008/09/02(火) 10:54:18 ID:6hL/HelI
> メッケルていう外人教官は即「イシダサンノカチダヨ」といったらしいが。
それ有名な都市伝説。メッケルにもメッケルに学んだ生徒からも、そんな事を言ったと言う証言は
一切存在しない。
一切存在しない。
287 :人間七七四年:2008/09/02(火) 12:46:00 ID:fk3HB0Ij
“長篠の戦いでの織田軍の鉄砲三段構え”など
“戦国最強武田騎馬軍団”と同様にとっくの昔に説破された通説であることについて…
こんな通説を信じてる奴がいるとは驚きだ。
288 :人間七七四年:2008/09/02(火) 12:49:06 ID:6hL/HelI
武田騎馬軍団は最近またその存在がきちんと認識されているよ。
敵側が武田の騎馬対を恐れていたことも。
半端な知識で人を馬鹿にすると自分に返ってくるぜ?
289 :人間七七四年:2008/09/02(火) 13:39:09 ID:crBXjLyk
>>287
それっぽい記述が甫庵が初めだっけか
まあ戦国の一次資料には全くみられないね
それっぽい記述が甫庵が初めだっけか
まあ戦国の一次資料には全くみられないね
290 :人間七七四年:2008/09/02(火) 17:12:54 ID:fk3HB0Ij
長篠の戦いの織田軍の三段構えを信じてる奴に
「まーた武田厨の妄想が始まったか」
なんて言われたくないけんについて…
なんて言われたくないけんについて…
291 :人間七七四年:2008/09/02(火) 17:57:45 ID:crBXjLyk
福富のくだりならそういう説を出してきてるやつもいたなあっていう記憶を辿っただけだけど
しかも「まーた〜」は直前の>288に向けていったんだよ
まあ色々誤解するような書き方してすまん
292 :人間七七四年:2008/09/02(火) 18:52:45 ID:fk3HB0Ij
勘違いすみません。
我ながら顔真っ赤ですw
293 :人間七七四年:2008/09/02(火) 22:12:01 ID:qB1Bm2gB
ゴメン。
そう言われるかと思って、資料探したんだけど出てこなかった。
なので、眉唾だと思ったら、信じなくてもいいよ。
ただ、確か西国の方で、西国は鉄砲の扱い方が進んでいたから、なるほどなぁ
と、妙に納得したのを憶えてる。
信長が三段構えを長篠の合戦で使用したっていう記述は確かまだ出てきていな
いよね。
が、信長の凄いところは、
?実際に鉄砲で勝ったわけでは無いが、鉄砲と言う道具を使用した。
?武田に勝った。
この二つの既成事実で、あの恐怖の武田騎馬隊(個人的にはまだあったと信用
してないけども)に新技術の鉄砲で勝ったと宣伝しまくり、信長スゲー!と思
わせた事なんじゃないかと思う。
いよね。
が、信長の凄いところは、
?実際に鉄砲で勝ったわけでは無いが、鉄砲と言う道具を使用した。
?武田に勝った。
この二つの既成事実で、あの恐怖の武田騎馬隊(個人的にはまだあったと信用
してないけども)に新技術の鉄砲で勝ったと宣伝しまくり、信長スゲー!と思
わせた事なんじゃないかと思う。
高天神城戦なんかもそうだよね。
294 :人間七七四年:2008/09/03(水) 00:24:23 ID:UvbZ8Gkx
現在に至るまで人気があるの?
295 :人間七七四年:2008/09/03(水) 00:56:47 ID:ih8VIv8T
確認したが、こういうこと。
1:細川家と浅野家の、国元に送った書状に「講和条件としての堀埋め立ては内堀まで全て」と、明確に
書かれていること。
書かれていること。
2:実際に埋め立ての作業をしていた大名のどんな記録にも、内堀の埋め立てに関しての、豊臣家からの
抗議があったと言う記録がないこと(櫓などの破壊についての抗議の記録は残っているのに)
抗議があったと言う記録がないこと(櫓などの破壊についての抗議の記録は残っているのに)
3:巷説に、抗議する間もなくあっという間に埋め立てられたと言われる内堀の埋め立てだが、
実際この埋め立ては、内堀だけで一ヵ月半かかっており、もしこれが講和条件違反なら、その間に
豊臣家から抗議なり妨害なりが無いとおかしい事。(櫓の破壊ではやっている)
実際この埋め立ては、内堀だけで一ヵ月半かかっており、もしこれが講和条件違反なら、その間に
豊臣家から抗議なり妨害なりが無いとおかしい事。(櫓の破壊ではやっている)
さらにいえば、「徳川による講和違反」という説の根拠になっている大阪の陣覚書などは全て、この時代より後世に
書かれたものであり、一次資料ではない。そして一次資料にはこれを講和違反とするものは一つもない。
書かれたものであり、一次資料ではない。そして一次資料にはこれを講和違反とするものは一つもない。
よって、大阪城の内堀を埋めたのが徳川の謀略と言うのは後世の創作である。
296 :人間七七四年:2008/09/03(水) 05:53:19 ID:pEdV/L5/
>>280ではないが、感謝感謝
297 :人間七七四年:2008/09/04(木) 01:01:02 ID:3ZnXfiI5
ありがとうございます!
1)は徳川の普請の割り当てだから微妙としても、
2)3)(二の丸の堀を千貫櫓と織田有楽、大野治長の屋敷を壊しでうめた)は確かにそうですよね。
2)3)(二の丸の堀を千貫櫓と織田有楽、大野治長の屋敷を壊しでうめた)は確かにそうですよね。
納得しました。
298 :人間七七四年:2008/09/05(金) 14:48:16 ID:pkMeJIpz
承応元年(1652)、近江で、お茶に桑の葉を混ぜて売ると言う食品偽装事件が起こって、茶の価格が下落。
農民が要請して偽装禁止の法律が執行されてたりする。
農民が要請して偽装禁止の法律が執行されてたりする。
もう少し時代が下って正徳二年(1717)、今度は特産の柿の偽装事件が発覚。今度も農民側の要請により
これを規制する「柿法度極の事」と言う法律が執行されたりしている。
これを規制する「柿法度極の事」と言う法律が執行されたりしている。
近世初期になると既に、今の世とあまり変わらないね、と言うお話。
299 :人間七七四年:2008/09/06(土) 18:14:01 ID:y6tdixCV
原田孫七郎が高山国(台湾)に、入貢を促す使者として渡海。
しかし、台湾の原住民族高砂族は統一した政権を持っておらず、入貢させる相手が見つけられないまま、
孫七郎帰国。
しかし、台湾の原住民族高砂族は統一した政権を持っておらず、入貢させる相手が見つけられないまま、
孫七郎帰国。
300 :人間七七四年:2008/09/10(水) 00:08:55 ID:q4JQeDWc
実は本当に元就と通じていた。
301 :人間七七四年:2008/09/10(水) 14:42:02 ID:q4JQeDWc
302 :人間七七四年:2008/09/10(水) 19:15:30 ID:q4JQeDWc
303 :人間七七四年:2008/09/18(木) 18:26:24 ID:c1LMZO2f
実は信長の前に、足利義教と細川政元もやっている。
京の治安維持上必要があった場合、比叡山などの宗教勢力を攻める事は、
室町幕府の権能の一つとして、認められていたものらしい。
アレを信長の無神論とか政教分離とかにつなげるのは、完全な過大評価であろう。
室町幕府の権能の一つとして、認められていたものらしい。
アレを信長の無神論とか政教分離とかにつなげるのは、完全な過大評価であろう。
ついでに信長は、幕府の官職に付かずに天下をコントロールしようとした事など、細川政元の施策を
真似していた節がある。
真似していた節がある。
304 :人間七七四年:2008/09/19(金) 11:27:39 ID:3vafLjj0
実は、「木曽川のほとり」と言う意味の地名。しかも信長以前から呼ばれていた。
305 :人間七七四年:2008/09/19(金) 13:30:45 ID:0bCN2BLk
大坂城で、秀吉が家康と酒宴を行なった時。
秀吉は上機嫌で「この城は誰にも落とせん」と言った。
家康「では殿下でも無理ですか?」
秀吉「わしならすぐ落とせる」
家康「ほう!それはどのようにして?」
秀吉「それはな、・・・・・・・・」
堀を全部生めて丸裸にするのはこの時の話から。
秀吉は上機嫌で「この城は誰にも落とせん」と言った。
家康「では殿下でも無理ですか?」
秀吉「わしならすぐ落とせる」
家康「ほう!それはどのようにして?」
秀吉「それはな、・・・・・・・・」
堀を全部生めて丸裸にするのはこの時の話から。
家康は後に大坂の陣に関して「太閤こそ我が師匠だ」と語った。
306 :人間七七四年:2008/09/19(金) 13:47:07 ID:3vafLjj0
それ講談話
307 :人間七七四年:2008/09/19(金) 19:12:18 ID:LcchtUUa
308 :人間七七四年:2008/09/20(土) 03:13:10 ID:xYIlr4zw
この逸話を「藩翰譜」の中で紹介したのは新井白石だが、白石自身このエピソードの最後に、
「本当かねえ?」と書き、真偽を疑っている。
「本当かねえ?」と書き、真偽を疑っている。
309 :人間七七四年:2008/09/21(日) 13:57:36 ID:HOt3yzBh
当時の一豊の知行は400石=今の金に換算して年収4000万円。
へそくりは約100万円。
事実は貧乏で買えないのではなく、将達の中に混じっても目立つための小道具に苦慮していた一豊に、
ちよがへそくりをプラスして南蛮の時計を買ってあげた。
一豊は馬揃えの日、首から時計を提げて、信長の目を引いた。
ちよがへそくりをプラスして南蛮の時計を買ってあげた。
一豊は馬揃えの日、首から時計を提げて、信長の目を引いた。
310 :人間七七四年:2008/09/21(日) 18:58:57 ID:yTZbQhDs
部下の給与もそこから払うわけだから貧乏ではあったんじゃないの?
311 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:10:19 ID:5JRZ2Tfl
司馬さんが書いちゃったから、この国では事実になるw
312 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:13:08 ID:mFo7btwR
313 :人間七七四年:2008/09/24(水) 23:14:58 ID:WMcx9BM6
一度でいいから、どういう生徒の出ていたどういう授業で発言されたのか、という一次資料を見てみたいものだ。
314 :人間七七四年:2008/09/25(木) 20:41:12 ID:/nlXNSI8
江戸時代は、諸外国から見れば、軍事ミャンマー政府状態(天皇軟禁)
315 :人間七七四年:2008/09/26(金) 13:22:19 ID:FsAMc6Sm
包茎だった
316 :人間七七四年:2008/09/26(金) 13:24:02 ID:FsAMc6Sm
包茎だった
317 :人間七七四年:2008/09/26(金) 14:39:50 ID:QnRZPqm6
17歳から戦場で戦い、57歳までの間に40数度の闘いに出て居る。
槍も刀も貸し出し品は一切手にせず、鎌一つで戦ったと記録に有る。鎌一つで一度の戦で7人を殺したとも言われてる。
あまりの残虐性と強さのため武将達から「首切り茂吉」と言われていた。
高禄で召し抱えたいと申し出た織田信長を前に、あさりと断り、年貢を免除して貰いたいと願い出た。
自分の申し出を断られ激怒した信長は斬りかかるも、茂吉は信長相手に蹴りを入れて倒して「やるならやんぞ!!」と
怒鳴りあげたと言われている。
その後信長の領地で唯一年貢を免除された男として首切り茂吉は有名である。
かの秀吉も茂吉を召し抱えようとするも「秋だし狩ろうかな」と言われて引き下がったと言われている。
なぜ茂吉が首切り茂吉と言われるか、その自宅には今まで倒した男達の首が置かれており、その数は500を超えていたと言う。
一体人知れずこの男はどれだけの戦功をあげていたのだろうかと織田家中では伝説的な農民であった。
40数度の戦に出て、生き延びた首切り茂吉。有名ではないがまさに最強であり多数の戦をした男である。
57歳の時、ついに茂吉は関ヶ原にて可児才蔵との激戦の末、首を打たれたと言う。
318 :人間七七四年:2008/09/26(金) 16:35:55 ID:tfyYMlnq
この名前は、ポルトガル語のムジーカ、つまりミュージックから取った。
319 :人間七七四年:2008/09/27(土) 23:12:07 ID:K6+YvsiR
>秋だし狩ろうかな
どこのホラー映画だよw
320 :人間七七四年:2008/09/28(日) 17:54:02 ID:qNjTxpRl
>ついに茂吉は関ヶ原にて可児才蔵との激戦の末、首を打たれたと言う。
じゃあ可児才蔵が最強じゃねーか
321 :人間七七四年:2008/09/29(月) 14:08:47 ID:OA4fSxC2
322 :人間七七四年:2008/09/29(月) 14:23:25 ID:N4IOjbb5
形や大きさに、用途に応じた30以上の種類があった。
323 :人間七七四年:2008/10/28(火) 01:12:14 ID:j+Fdfr9L
・応仁の乱の原因は日野富子の策謀
・素浪人北条早雲
・桶狭間は奇襲
・長篠の鉄砲三段撃ち
・本能寺陰謀論
・賤ヶ岳の敗因は佐久間
・三成が家康の下に逃げ込んだ
・方広寺鐘銘事件は無理やりの難癖
・大阪城内堀埋め立ては徳川の陰謀
・素浪人北条早雲
・桶狭間は奇襲
・長篠の鉄砲三段撃ち
・本能寺陰謀論
・賤ヶ岳の敗因は佐久間
・三成が家康の下に逃げ込んだ
・方広寺鐘銘事件は無理やりの難癖
・大阪城内堀埋め立ては徳川の陰謀
こんなところか?
324 :人間七七四年:2008/10/29(水) 00:01:36 ID:6wvsxPQ0
伊勢新九郎であることも今川の奥さんと親類だったのも
昔から知られてたから
道三二人いた説のほうが最近じゃない?
でもこれだと今まで知られてた道三は
親父の築いたものを馬鹿やって潰しただけの男になってしまいロマンがないよねぇ
ロマンで歴史語っちゃいかんのだろうけど。
徒手空拳から成りあがった奴は戦国時代でもいないってのも厳しい現実だよね
ある程度の生まれ持った門地や血筋やバックアップは絶対必要ってことも
秀吉も農民としては金持ちの名士の出だったし
幕末の伊藤山縣ぐらいか例外は
ある程度の生まれ持った門地や血筋やバックアップは絶対必要ってことも
秀吉も農民としては金持ちの名士の出だったし
幕末の伊藤山縣ぐらいか例外は
325 :人間七七四年:2008/10/29(水) 00:03:44 ID:H31Aixsz
実は家臣に取り立てた相撲取りは全員、もともと武士身分だったそうで。
326 :人間七七四年:2008/10/29(水) 00:37:03 ID:iNt5L/oF
相撲部屋とかあると?W
327 :人間七七四年:2008/10/29(水) 00:37:35 ID:+axsXlWx
有名な話かな?
328 :人間七七四年:2008/10/29(水) 00:41:02 ID:H31Aixsz
そうじゃなくて、侍身分以外の、農民やその他の階層の力士は、活躍しても取り立てられることはなかった、
ってこと。
329 :人間七七四年:2008/10/29(水) 00:43:01 ID:yZceESOW
酔狂だけでやってたわけじゃないと
>>327
違います
違います
330 :人間七七四年:2008/10/29(水) 01:24:55 ID:iNt5L/oF
罵っぽく「W」連発して悪かった
スマン○コ
331 :人間七七四年:2008/10/29(水) 02:52:01 ID:IjlGWXpn
にちゃんで俺以外のこんなに素直な奴を見たのは久々だ
つかスレチだが現代の脂肪と脂肪のぶつかり合いよりこの頃の引き締まった筋肉質の農民力士同士の取り組みの方が面白そうだよな。
ウルフはかっこよかったな〜
ウルフはかっこよかったな〜
332 :人間七七四年:2008/10/29(水) 10:42:00 ID:93Me3ljE
秀吉子飼いはまた別だろうが。
333 :人間七七四年:2008/10/29(水) 11:47:04 ID:82CUTaU6
上杉謙信男性説
334 :人間七七四年:2008/10/29(水) 13:56:15 ID:H31Aixsz
同じフロイスの
> 堺の代官になった彼の伴侶は佐吉殿(石田三成)と称する関白殿の家臣であり、関白の暴政を
> 快しとしないジョウチン(小西立佐)の大敵でもあり、キリシタンの敵でもあって、嫉妬深く、野心家で
> 傲慢であり、その他においても悪徳に満ちた人物である。
> 快しとしないジョウチン(小西立佐)の大敵でもあり、キリシタンの敵でもあって、嫉妬深く、野心家で
> 傲慢であり、その他においても悪徳に満ちた人物である。
この三成評はあまり知られてないな。
335 :人間七七四年:2008/10/29(水) 15:23:40 ID:6wvsxPQ0
堀尾さんは稲葉山城功略戦で秀吉を裏口に案内した
地元の猟師の息子という根も葉もない説を
中学の頃習ったよ。学校で。
336 :人間七七四年:2008/10/29(水) 21:25:26 ID:82CUTaU6
337 :人間七七四年:2008/10/29(水) 23:56:03 ID:yZceESOW
わかりやす過ぎですフロイスさん
338 :人間七七四年:2008/10/29(水) 23:59:13 ID:H31Aixsz
> 老三ヶ(頼照)殿の息子マンショ(頼連)は、はじめ伊予の国で、関白の甥にあたる
> きわめて残忍な性格の男(福島正則)とともにいた。この男は、ごく些細な理由でマンショを朝鮮で
> 殺そうとしたことがある。そのため彼はこの男の許から身を引き、アゴスチイノ津の守殿に仕え、
> 剃髪して彼とともに日本に帰った。その妻子は伊予国に残っており、かの残忍な男は、
> もとより彼らを皆殺しにするように命じていたから、マンショは密かに伊予に赴き、夜分、
> 気づかれることなく妻子を乗船させ、無事に連れ戻すことが出来た。暴君の家来たちは、
> ただちにマンショの後を追ったがマンショらは巧みに敵の目をくらまし身を隠したので、
> 発見されずにすんだ。
> きわめて残忍な性格の男(福島正則)とともにいた。この男は、ごく些細な理由でマンショを朝鮮で
> 殺そうとしたことがある。そのため彼はこの男の許から身を引き、アゴスチイノ津の守殿に仕え、
> 剃髪して彼とともに日本に帰った。その妻子は伊予国に残っており、かの残忍な男は、
> もとより彼らを皆殺しにするように命じていたから、マンショは密かに伊予に赴き、夜分、
> 気づかれることなく妻子を乗船させ、無事に連れ戻すことが出来た。暴君の家来たちは、
> ただちにマンショの後を追ったがマンショらは巧みに敵の目をくらまし身を隠したので、
> 発見されずにすんだ。
339 :人間七七四年:2008/10/31(金) 05:25:57 ID:QJ0M1bYY
ならば下克上で有名組で本当に一代で成り上がったのは松永弾正だけか
ますますあいつすげーんだなってかんじだ
340 :人間七七四年:2008/10/31(金) 05:48:18 ID:QdonOa9T
341 :人間七七四年:2008/10/31(金) 13:39:55 ID:fwKJ0yIr
ちょww
342 :人間七七四年:2008/10/31(金) 14:36:33 ID:WV+DuLbC
TUEEEEEEwwwww
343 :人間七七四年:2008/11/02(日) 03:11:55 ID:CYRNpuug
福島隊とぶつかったということは宇喜多にでも所属してたのかな?
344 :人間七七四年:2008/11/03(月) 01:01:32 ID:RKVg9yMB
藤堂家に仕官していた旧石田三成家臣磯野右近の子供
しかもその磯野行尚(盛次討ちとった人)は
関ヶ原で三成が落ちるときに塩野、渡辺らとともに
最後までつき従い三成が解散命令出すまでずっと一緒にいた人物
大坂の陣は因縁対決が多い
長曾我部と十河が九州の時のように馬並べてたたかって両家とも完全滅亡したり
345 :人間七七四年:2009/02/24(火) 17:48:54 ID:aKDk8bFV
346 :人間七七四年:2009/02/24(火) 23:36:25 ID:8Kgw3bad
347 :人間七七四年:2009/02/26(木) 21:19:02 ID:/wbqq33+
348 :人間七七四年:2009/02/26(木) 21:50:19 ID:p5D4oixu
349 :人間七七四年:2009/02/28(土) 19:51:02 ID:KquK5l2K
実際に射撃するときは下馬して射撃した(98へェ確実)
350 :人間七七四年:2009/02/28(土) 20:08:12 ID:dydYZe/Y
351 :人間七七四年:2009/02/28(土) 22:19:57 ID:d7ysMX0X
352 :人間七七四年:2009/03/01(日) 11:51:58 ID:BqpFSaFa
本当に?
鉄砲を輸出してたのかな。
オスマンなら遠くの日本より、ヨーロッパの方が早く調達できそうだけど、
敵対関係にあったから貿易できなかったとか?
353 :人間七七四年:2009/03/01(日) 14:18:35 ID:phNOPWOT
広島には「風呂」という家がある。
なんでも鷹狩に出た殿様に風呂を馳走した礼として拝領したそうだ。
殿様は毛利元就だったか輝元だったか、記憶が定かでない。
ちなみに俺の同級生の風呂君は嘉門達夫の付き人をしていた。今は広島ローカルで歌手をしている。
354 :人間七七四年:2009/03/07(土) 13:26:53 ID:omYHB63H
ネタにマジレスカコワルイ
355 :人間七七四年:2009/05/31(日) 00:08:11 ID:ySZNdEfF
356 :人間七七四年:2009/07/22(水) 07:17:26 ID:bScwBlEY
宗教内の対立(カvsプ)からフランスとオスマンが同盟を組んで帝国を攻めたこともあるよ
357 :人間七七四年:2009/07/22(水) 07:42:35 ID:dtK6YOJI
30年戦争のことなら、宗教内の対立ではないぞ。
ブルボン家 vs ハプスブルク家という文脈で見るべき。
なんせ、カトリックを信仰していたブルボン家のフランス王国は新教側で参戦して
ハプスブルク家の皇帝軍と対峙したわけで。
358 :人間七七四年:2009/07/23(木) 05:19:20 ID:8JGMJkyq
それが戦争の長期化、規模の拡大で徐々に他の要素が加わっただけで。
359 :人間七七四年:2009/09/11(金) 16:21:29 ID:LxcdL1H5
360 :人間七七四年:2009/09/12(土) 11:17:16 ID:G5fEj6RR
361 :人間七七四年:2009/09/22(火) 21:02:28 ID:VV4oDUr7
亀だが。
印章においては
その三家が入れ替わっている
(武田氏の龍印・上杉氏の獅子印・北条氏の虎印)
362 :人間七七四年:2009/09/23(水) 00:42:08 ID:z+XPqpoe
363 :人間七七四年:2009/09/24(木) 00:21:23 ID:3pDvVTx6
毘沙門天の旗や飯縄権現の兜もあるんだしおかしくはないとは思うが
364 :人間七七四年:2009/11/13(金) 01:41:32 ID:UYTLGV5/
基本的にみんなが顔を合わせる、と言うことが無く、何か懸案があった場合、書状や書類が
関係者の間をめぐって、なんとなく方向性が決まる、という方式だった。
関係者の間をめぐって、なんとなく方向性が決まる、という方式だった。
365 :人間七七四年:2009/11/29(日) 08:20:02 ID:QoN/MMV5
366 :人間七七四年:2009/11/30(月) 03:04:58 ID:6pwbTB9p
や重臣達を集めた衆議があったんだよな。不思議だ。
367 :人間七七四年:2009/12/02(水) 23:53:29 ID:gEOmb4v1
368 :人間七七四年:2009/12/17(木) 16:43:42 ID:p5JiIjIq
欧州から帰国途中のフィリピンで、オランダとの戦争準備に追われていた現地総督の要請により
イスパニア艦隊に売却編入、使節団長の支倉常長らは別の船で帰国した。
その後のバウティスタ号の消息は不明。
後のフィリピンでのオランダとの海戦にイスパニア艦隊が敗れたことから
バウティスタ号も撃沈された可能性は高い。
後のフィリピンでのオランダとの海戦にイスパニア艦隊が敗れたことから
バウティスタ号も撃沈された可能性は高い。
369 :人間七七四年:2009/12/17(木) 17:04:01 ID:p5JiIjIq
毛利家に臣従した因島村上氏のほうは関が原の戦の後も毛利家に仕え、
長州の船手組(海上警備や海路の参勤交代の担い手)となった。
いっぽう、来島村上氏のほうは豊臣秀吉に臣従して一時は独立大名となるも
徳川幕府の時代になると山奥の豊後玖珠郡(現・大分県玖珠町と九重町)に転封、
完全に海から遠ざけられてしまった。
徳川幕府の時代になると山奥の豊後玖珠郡(現・大分県玖珠町と九重町)に転封、
完全に海から遠ざけられてしまった。
370 :人間七七四年:2009/12/17(木) 17:17:43 ID:p5JiIjIq
その後も長島一向一揆、三次三人衆、朝倉義景などとの同盟や保護のもと
信長に執拗な抵抗を続けたが、信長に攻められた浅井長政を支援するため
朝倉義景と共に参戦した一乗谷城の戦いで戦死。
彼を討ち取ったのは氏家卜全の長男直昌だといわれる。
371 :人間七七四年:2009/12/18(金) 16:22:41 ID:6hc6ZMdT
来島氏は、山の中に池を造って、そこで昔を偲んでお船遊びをした。
372 :人間七七四年:2009/12/20(日) 07:18:00 ID:DaOt8adZ
徳川方にいた本家への配慮だといわれる。
373 :人間七七四年:2010/02/20(土) 13:27:16 ID:YLM7jZvg
江戸時代の打ち壊しのような悪徳者を狙う同情の余地があるものだったが
土一揆は単に略奪したいから金持ちを狙うだけの同情の余地が無いものだった。
金利が安い良心的な寺社でも狙われるので
そういったものから守るために寺社は堀や石垣などで防御していた。
有事の際は地方領主が寺社を城がわりに利用したので寺社はもっとも血なまぐさい場所だった。
374 :人間七七四年:2010/02/24(水) 04:31:42 ID:drpOKt5v
平安時代から武士の戦術は、集団で敵を取り囲み、大量の矢を射掛けて相手を針坊主に
して殲滅するのが基本。
当然元寇の時もこれをやり、元の軍隊は上陸拠点を作ることすら出来ないほど
武士の戦術に翻弄された。
して殲滅するのが基本。
当然元寇の時もこれをやり、元の軍隊は上陸拠点を作ることすら出来ないほど
武士の戦術に翻弄された。
375 :人間七七四年:2010/02/25(木) 17:14:58 ID:0gRvz+Ak
戦国大名の島津氏と直接血縁関係はない。
彼の先祖の井上惣兵衛が、秀吉から島津義弘に与えられた領地に住んでいた時に
領地検分の世話をした功績として島津姓と島津家紋を貰ったのが始まりとされる。
(関が原の戦で敗れ、撤退中の島津義弘を援助した際の褒美の説も有る)
領地検分の世話をした功績として島津姓と島津家紋を貰ったのが始まりとされる。
(関が原の戦で敗れ、撤退中の島津義弘を援助した際の褒美の説も有る)
376 :人間七七四年:2010/02/27(土) 16:20:49 ID:wHinKBLb
同時代的にはただ単に「一揆」もしくは「土一揆」としか呼んでいないこと。
377 :人間七七四年:2010/02/28(日) 01:37:41 ID:PKi4YTnt
378 :人間七七四年:2010/04/15(木) 17:44:52 ID:lMY6nLDS
379 :人間七七四年:2010/07/14(水) 17:14:24 ID:cvsDNaOh
それぞれ九戸の乱で活躍した南部家臣、東朝政、南盛義、北秀愛に嫁いでいる。
南部の家臣に、西という一族もちゃんといたようだが、
活躍しなかったのか、すでに断続していたのか…痛恨のグランドスラム失敗である。
南部の家臣に、西という一族もちゃんといたようだが、
活躍しなかったのか、すでに断続していたのか…痛恨のグランドスラム失敗である。
380 :人間七七四年:2010/08/14(土) 04:15:57 ID:07eMyMEn
381 :人間七七四年:2010/09/05(日) 10:32:05 ID:xJsw7iAz
382 :人間七七四年:2011/01/24(月) 11:09:29 ID:SCVr6VIM
オランダに帰ろうとしたが、ジャワでの帰国手続がはかどらず帰国を断念。
いったん日本に戻る途中のインドシナで船が難破して溺死した
383 :人間七七四年:2011/01/24(月) 11:17:55 ID:jlstUjQg
384 :人間七七四年:2011/01/26(水) 13:04:54 ID:FbS7BEvy
385 :人間七七四年:2011/01/27(木) 09:35:02 ID:psRMjVs8
まぁこれは有名か
386 :人間七七四年:2011/01/27(木) 11:18:07 ID:I9P1dmMH
蹄鉄と馬の運動に関係はないこと
387 :人間七七四年:2011/01/27(木) 17:37:50 ID:psRMjVs8
えっ?蹄鉄付けないとヒヅメが減って長距離を歩けなくなるんじゃないの?
それで幕末までは馬に草鞋を履かせてたとか何とか。
山中鹿之助の息子は武士をやめたあと酒造業でお金持ちになり、
のちの鴻池財閥のもとになった。
のちの鴻池財閥のもとになった。
388 :人間七七四年:2011/01/27(木) 17:49:06 ID:I9P1dmMH
野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄など必要としないことが分かっている。
しかし長年の馬小屋での飼育方法と蹄鉄の伝統は、これらの見解によっても容易に変化するものではない。
これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%84%E9%89%84#.E8.B9.84.E9.89.84.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E6.96.B0.E3.81.9F.E3.81.AA.E8.A6.8B.E8.A7.A3
家畜の馬が蹄鉄を必要とするほど蹄が弱くなる原因に
湿気やアンモニアに蹄が晒され続けることが挙げられますが
武士の厩は床を板敷にし、頻繁に掃除を行うことで馬の足元を清潔に保ち
蹄が劣化することを防いでいます。
湿気やアンモニアに蹄が晒され続けることが挙げられますが
武士の厩は床を板敷にし、頻繁に掃除を行うことで馬の足元を清潔に保ち
蹄が劣化することを防いでいます。
当時の厩は馬の目の前で各々が寛ぎながら歓談する、ちょっとしたサロンでした
ttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/gadan/naoki/naoki.htm
ttp://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/past/theme/0801/24.html
ttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/gadan/naoki/naoki.htm
ttp://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/past/theme/0801/24.html
389 :人間七七四年:2011/01/27(木) 19:34:02 ID:jIIRKYdP
390 :人間七七四年:2011/01/27(木) 21:22:26 ID:H2QejCCF
それも不正確だな。つーか、痛むのがやだから使わないわけじゃねーよ。単純に野戦では槍より役に立たないからだ。
主兵装は弓・鉄砲・投石だな、死傷者の原因から考えると。
391 :人間七七四年:2011/01/27(木) 22:50:21 ID:AdE/I6zM
日本の記録でも宣教師の記録でも、最初は弓鉄砲での打ち合い、もう少し近づくと
槍でのせめぎ合い、最後は刀での接近戦、となっている。
戦場で使わないものをわざわざ持っていくような馬鹿じゃないよ武士は。
お前と違ってな。
お前と違ってな。
392 :人間七七四年:2011/01/28(金) 01:59:19 ID:uD/DQhxQ
393 :あ:2011/01/28(金) 03:27:19 ID:MQeZR5nj
信仰心とは関係無い。
394 :人間七七四年:2011/01/28(金) 10:47:19 ID:7HtiIcBP
もともと鎌倉時代から大きな勢力基盤があった守護・守護代からの名門大名が
近隣の中小勢力を吸収、征服してさらに大きくなったケースがほとんど。
395 :人間七七四年:2011/01/30(日) 18:29:27 ID:BCpK/3+q
しまも両家とも源頼朝がらみだし。
396 :人間七七四年:2011/01/31(月) 01:30:08 ID:oHjmFWAp
鈴木信者が湧いて出た…
397 :人間七七四年:2011/02/02(水) 02:39:09 ID:hrtJK/S5
そりゃ投石が最強になるわな
火攻めで落ちた城の籠城データだけ出して
戦国時代で一番活躍した武器は火である
とか言うくらい恥ずかしい事なんだけど
騙されてる人は意外と多いんだよな
398 :人間七七四年:2011/02/04(金) 18:59:15 ID:4NexGgh4
まぁ当時の村の神主や僧といったら当地の顔役兼インテリだろうしな。
今でも途上国の村の神父とか呪術師なんかそうだし
陶晴賢は大内義隆を討った後、甥の大内義長を名目上の後継者に立てていたが、
厳島の戦いで陶晴賢が毛利軍に敗れるとその翌々年に毛利軍に城を包囲され
義長は自害。大内氏はここに滅亡した。
厳島の戦いで陶晴賢が毛利軍に敗れるとその翌々年に毛利軍に城を包囲され
義長は自害。大内氏はここに滅亡した。
399 :人間七七四年:2011/02/08(火) 22:22:55 ID:npHsdNCx
400 :人間七七四年:2011/02/08(火) 22:52:12 ID:+8NS0k3d
401 :人間七七四年:2011/02/08(火) 23:31:14 ID:npHsdNCx
その後信長の精鋭部隊の黒母衣衆、旗本と昇進。
本能寺の変では織田信忠とともに二条城で奮戦の末、戦死した。
いっぽう、義元を討ちそこねた服部小平太のほうは、信長死後
秀吉の精鋭部隊の黄母衣衆になり、養子秀次の家来となるも
秀次失脚で連座、切腹させられた。
秀吉の精鋭部隊の黄母衣衆になり、養子秀次の家来となるも
秀次失脚で連座、切腹させられた。
402 :人間七七四年:2011/02/09(水) 00:16:25 ID:X0mxwbZ7
弟蘭丸を本能寺の変で討ち取った安田作兵衛を
「武功は武功」と周囲の反対を押し切って召抱えた。
403 :人間七七四年:2011/02/09(水) 00:34:53 ID:X0mxwbZ7
クリスマス休戦を戦国時代で初めて提案した。
また彼は初めて火薬による自爆で最期を遂げた戦国武将でもある。
404 :人間七七四年:2011/02/10(木) 21:34:43 ID:T7u6S46E
信長が開城条件の約束破って岩村城の兵士や領民を虐殺した理由は
単なる騙し討ちではなく
秋山と女城主の子供(馬場六太夫)が見つからなかった腹いせらしいな
いくら問い詰めても拷問しても逆さ磔しても秋山夫婦は子供の居場所を絶対に言わなかったらしい
405 :人間七七四年:2011/02/16(水) 19:02:37 ID:vyNUD493
406 :人間七七四年:2011/03/02(水) 22:27:32.57 ID:d4it1fyc
会員数は約2万人。現存するカトリック系男子修道会では二番目に多い。
現在の総長をつとめているアドルフォ・ニコラス神父は、
上智大で教鞭をとっていたことがある。
上智大で教鞭をとっていたことがある。
407 :人間七七四年:2011/03/02(水) 23:02:50.24 ID:d4it1fyc
残った二の丸が織田家の居城としてしばらく利用されていた。
だが豊臣秀吉の養子秀次が安土城の近くの領地をもらうことになると
安土城の残った資材は城下町ごと秀次の新しい居城・八幡山城建築に使うため
移されたといわれる。
安土城の残った資材は城下町ごと秀次の新しい居城・八幡山城建築に使うため
移されたといわれる。
408 :人間七七四年:2011/03/03(木) 16:40:14.76 ID:UiuwrDla
嵯峨天皇の代に平安京の西(左京)を長安、東(右京)を洛陽と
それぞれ命名したが、京都の発展が東に集中したため
京都を洛陽で表すのが人々の間に定着していったことから。
409 :人間七七四年:2011/03/04(金) 10:49:40.53 ID:vMdDrRUd
410 :人間七七四年:2011/03/04(金) 11:45:50.29 ID:DaM4afsh
411 :人間七七四年:2011/03/04(金) 23:34:28.70 ID:c0MwiiIo
実は一度も本格的な合戦をしたことはない。
412 :人間七七四年:2011/03/04(金) 23:58:42.50 ID:d+SImIuJ
413 :人間七七四年:2011/03/05(土) 00:22:11.91 ID:6myydj1e
だがそのかいなく彼は肺ガンで亡くなった。
414 :人間七七四年:2011/03/05(土) 07:09:22.92 ID:Ayop0wMx
誰でも知ってる
415 :人間七七四年:2011/03/05(土) 11:59:35.49 ID:6myydj1e
416 :人間七七四年:2011/03/05(土) 12:18:40.34 ID:6myydj1e
417 :人間七七四年:2011/03/05(土) 12:58:01.92 ID:lIeExuBn
418 :人間七七四年:2011/03/07(月) 00:00:24.80 ID:fmvCqN/S
松の廊下事件で浅野内匠頭を取り押さえたのは吉田藩主伊達村豊(政宗曾孫、当時宗春)
浅野内匠頭があずけられ、切腹したのは一関藩主田村建顕(同じく政宗曾孫)邸。
浅野内匠頭があずけられ、切腹したのは一関藩主田村建顕(同じく政宗曾孫)邸。
419 :人間七七四年:2011/03/07(月) 00:20:08.69 ID:H/Q67qc/
彼の孫は俳人、ひ孫は朱子学者としてそれぞれ名を成し
またその道の優れた弟子を多く育成、輩出した。
420 :人間七七四年:2011/03/07(月) 14:04:11.25 ID:r+QG450U
それで、糞たれたのか!! なるほど。
421 :人間七七四年:2011/03/07(月) 17:54:02.13 ID:/H1Ur1l4
苦労人らしい徳川家康の遺訓として扱われるが
実際は徳川光圀の言葉
このように、家康の美談などは神君として奉られた後世の創作が多い
422 :人間七七四年:2011/03/07(月) 21:11:00.40 ID:TaAwYFBO
> このように、家康の美談などは神君として奉られた後世の創作が多い
そもそもそれは美談かよ?
あと家康が天婦羅に当たって死んだという話。
あれは後世、江戸城で火災の危険があるため揚げ物を禁止したとき、
その理由として「揚げ物は徳川家に祟る。昔神君が天婦羅に当たって死んだので」とやった
つくり話。
あれは後世、江戸城で火災の危険があるため揚げ物を禁止したとき、
その理由として「揚げ物は徳川家に祟る。昔神君が天婦羅に当たって死んだので」とやった
つくり話。
423 :人間七七四年:2011/03/08(火) 00:23:30.55 ID:wL1O2bfp
彼は松永久秀と三好三人衆の権力抗争や義昭を奉じた信長上洛により
将軍職にあるにもかかわらず本拠地の京に来られずに一生を終えた
ちなみに日本史上、在職中に本拠地に来れなかった将軍は
足利義栄以外では徳川慶喜(江戸)だけ
足利義栄以外では徳川慶喜(江戸)だけ
424 :人間七七四年:2011/03/08(火) 02:07:40.75 ID:2PREDeTX
幕府が作った創作話
本当は権力のためなら何でもする極悪非道な強欲な人間
425 :人間七七四年:2011/03/08(火) 02:08:58.68 ID:f/OsFQRc
はいはいここは病院じゃないから
426 :人間七七四年:2011/03/08(火) 02:37:24.35 ID:2PREDeTX
豊臣秀頼が普請した神社仏閣の膨大な費用を個人財産で支払い。
その支払われた費用の一部に税金を掛け、建設業者から巻き上げ
豊臣氏を滅ぼすための鉄砲の弾(鉛)の購入費用にあてたのは家康。
現代にも通じる政治のカラクリ
427 :人間七七四年:2011/03/08(火) 07:22:26.69 ID:pv7bOLQI
「戦争犠牲者の追悼」?
普通に豊臣の繁栄を願ってじゃないのか?
428 :人間七七四年:2011/03/08(火) 10:56:54.22 ID:DY233kST
429 :人間七七四年:2011/03/08(火) 13:08:00.54 ID:wL1O2bfp
>>428
農民上がりだから他の戦国武将のような信頼できる家臣団が無くて
いきおい身内びいきになるのは仕方ないオモ。
秀吉が苦心して作りあげた家臣団も彼の死後の関ヶ原の戦いでは
石田三成以外ほとんどが家康についちゃったし
農民上がりだから他の戦国武将のような信頼できる家臣団が無くて
いきおい身内びいきになるのは仕方ないオモ。
秀吉が苦心して作りあげた家臣団も彼の死後の関ヶ原の戦いでは
石田三成以外ほとんどが家康についちゃったし
430 :人間七七四年:2011/03/09(水) 05:15:13.03 ID:QlS2zua5
つまり内輪揉めであるからお互いに自分こそ正当な豊臣家臣団と思ってるから福島、加藤等は裏切ってるとか微塵も感じてない
431 :人間七七四年:2011/03/09(水) 08:10:50.05 ID:QwCXCyaO
豊家の家臣じゃなくて、一族じゃないか?
432 :人間七七四年:2011/03/09(水) 22:48:23.43 ID:QlS2zua5
433 :人間七七四年:2011/03/10(木) 01:07:33.88 ID:NjN3kGqd
そりゃあ違う。今だってたとえ同じ職場にいても、他人である同僚と親戚の同僚って
やっぱり違うだろ?
434 :人間七七四年:2011/03/10(木) 01:28:02.30 ID:EUrCXwPG
435 :仙台藩百姓:2011/03/10(木) 08:23:10.23 ID:4t9gkIrN
他人の家ばかり心配していた大名がいるなら教えてもらいたいものだお( ^ω^)
436 :人間七七四年:2011/03/10(木) 18:51:16.84 ID:EUrCXwPG
437 :人間七七四年:2011/03/10(木) 21:12:38.32 ID:nGzR+eSo
攻め手の武田軍から受けた損傷がひどかったため、翌年放棄された
438 :人間七七四年:2011/03/11(金) 03:06:34.47 ID:sRbrh075
…というのは司馬遼太郎の創作。
439 :人間七七四年:2011/03/11(金) 13:24:59.32 ID:H38FjljA
信長は男根の絵が描かれた羽織りを着て、尾張から美濃まで出向いた。
もちろん、美濃に着いたら着替えたが…
440 :人間七七四年:2011/03/11(金) 20:10:26.61 ID:Uveo9971
441 :人間七七四年:2011/03/23(水) 12:05:30.48 ID:Gx4WYrE2
秀吉から軍規違反を理由に領地百二十万石の大部分と家臣を没収され、
さらに関ヶ原では西軍に加わったことで一時改易。
その後大名に復帰するも「築城の名人だから」ということを理由に
伊達政宗監視のため奥州の要衝・白川藩に移され、城下町と築城整備に専念させられた。
すべて丹羽氏の財力を削ぐための処置だったとされる
442 :人間七七四年:2011/03/23(水) 22:02:06.70 ID:jRtC6JAw
…というのは後世の作り話。実際はひた隠しに隠した。
443 :人間七七四年:2011/03/25(金) 16:28:53.74 ID:a5L4noch
小早川秀秋とともに東軍に寝返ったが、脇坂安治を除く三将は
「戦う前に裏切りの意思を知らせていなかった」という理由で
それぞれ所領没収、所領半分没収、改易処分を受けてしまった。
その後の三将は、
赤座直保→加賀藩の前田家に家臣として仕えるも、彼の死後、息子は改姓。
朽木元網→出家して死んだ後、所領は三人の子に分けられたため、家は旗本に転落。
ただ三男・朽木稙綱だけは徳川家光の信頼を受けたことで大名の地位を取り戻す。
小川祐忠→改易後、京に戻り間もなく病没。息子は両替商として大成功。
曾孫は鷹匠、曾々々孫は小石川養生所の開祖の名医としてそれぞれ名を残した。
赤座直保→加賀藩の前田家に家臣として仕えるも、彼の死後、息子は改姓。
朽木元網→出家して死んだ後、所領は三人の子に分けられたため、家は旗本に転落。
ただ三男・朽木稙綱だけは徳川家光の信頼を受けたことで大名の地位を取り戻す。
小川祐忠→改易後、京に戻り間もなく病没。息子は両替商として大成功。
曾孫は鷹匠、曾々々孫は小石川養生所の開祖の名医としてそれぞれ名を残した。
444 :人間七七四年:2011/03/26(土) 22:32:43.33 ID:4LiH1Jee
現行の暦であるグレゴリオ暦の採用者
また彼の使用していた冠は、現存する教皇冠のなかでは世界最古のもの
445 :人間七七四年:2011/03/26(土) 22:40:23.27 ID:L9tlkcyw
実は秀吉よりも先に、徳川家康が伊賀越の後の西上の途中、三法師を立てての
弔い合戦を主張している。
弔い合戦を主張している。
446 :人間七七四年:2011/03/27(日) 12:44:35.86 ID:+cK8ooD7
秀吉への恩義から関ヶ原では西軍側につく。
降伏後は岐阜の所領を没収され高野山へ追放された。
その後は高野山のふもとの村の郷士になったとも
一万石の大名として復活したとも伝えられる。
一万石の大名として復活したとも伝えられる。
447 :人間七七四年:2011/03/27(日) 13:00:51.44 ID:+cK8ooD7
伊東マンショ達は、次のローマ法王・シクストゥス五世の戴冠式にも参加したが
彼は歴代ローマ法王の中でも大きな功績を持つ。
ローマ教皇領内の治安回復や財政再建をしたり
ローマ市内のインフラ整備に莫大な公共投資を行い現代のローマ市の基礎を作った。
448 :人間七七四年:2011/03/27(日) 13:21:27.35 ID:+cK8ooD7
高野山という名の山はない。
「高野山」とは宝珠山・弁天岳・摩尼山などの八つの山々に囲まれた
盆地のことを指す地名である。
ちなみに、ユネスコは2004年に高野山を世界文化遺産に登録している。
449 :人間七七四年:2011/04/03(日) 19:44:33.13 ID:Wi2N2B2m
降伏した敵首謀者の織田信孝を移して切腹させた場所として有名だが、
かつて平安時代に源義朝が暗殺された場所でもある。
450 :人間七七四年:2011/04/05(火) 00:59:20.75 ID:dQwOAX3M
451 :人間七七四年:2011/04/05(火) 01:07:48.86 ID:iPyu7KiM
452 :人間七七四年:2011/04/06(水) 07:12:31.79 ID:iNE0qZ0o
長篠の戦いで有名になった鳥居強右衛門の息子の鳥居信商
453 :人間七七四年:2011/04/09(土) 08:19:37.75 ID:A2bG4nPU
454 :人間七七四年:2011/04/11(月) 21:00:12.65 ID:4x6TLtFZ
大阪城落城後に真田幸村の娘を保護した事で改易された
455 :人間七七四年:2011/04/11(月) 21:14:47.11 ID:EIL712g9
それは息子ではなく孫だ。滝川一積な。しかも改易を受けたのは
大坂の陣から17年もたった寛永9年(1632)な。
真田云々の単純な話じゃない。
456 :人間七七四年:2011/04/12(火) 18:47:11.37 ID:YO44H2e8
457 :人間七七四年:2011/04/12(火) 18:51:16.95 ID:sD8G39HW
在日で創価のお前がそれを聞いてどうしたいんだ?
458 :人間七七四年:2011/04/12(火) 20:11:03.61 ID:1CdpWqep
三浦按針、耶楊子
武将じゃないか
459 :人間七七四年:2011/04/13(水) 16:30:42.53 ID:sO8GAoFu
毛利軍を釘付けにする代償に戦後の毛利領を保証する密約を結んでいたが、
毛利輝元は自発的に西軍の総大将になっていたからという理由で
密約は反故にされてしまい、毛利家は改易されそうになった。
これに慌てた広家が必死に家康との交渉に努めた結果、
自分が貰うことになっていた長門・周防二国を毛利家に与えることで
毛利家取り潰しはまぬがれた。
自分が貰うことになっていた長門・周防二国を毛利家に与えることで
毛利家取り潰しはまぬがれた。
460 :人間七七四年:2011/04/16(土) 23:57:53.92 ID:H/+Jd4in
家が生き残るようにそれぞれ西軍、東軍について戦った。
勝った後、守隆は父の助命を家康に約束させたが
嘉隆のもとにその使者が来る前に、家臣が独断で切腹させてしまっていた。
嘉隆のもとにその使者が来る前に、家臣が独断で切腹させてしまっていた。
461 :人間七七四年:2011/04/17(日) 00:05:48.63 ID:z5dvcaSZ
462 :人間七七四年:2011/04/17(日) 00:19:19.49 ID:IUKeP+Rq
領民は供養塚築いて彼の命運を慰めたという。
463 :人間七七四年:2011/04/17(日) 22:11:26.87 ID:+0o1j6yn
武田信玄が二度も落とせなかった城を
信玄の命令で総大将として攻めたら、
落とせた。
464 :人間七七四年:2011/04/18(月) 03:37:24.89 ID:4N3o/IRr
465 :人間七七四年:2011/04/19(火) 16:59:29.16 ID:H6lPfmtl
室町時代、関東管領を辞めて諸国遍歴の旅に出ていた上杉憲実の最期の地でもある
466 :人間七七四年:2011/04/24(日) 22:38:54.47 ID:ZAYgyOGI
戦国時代も権益を握っていた大内氏により続いていた。
大内義隆が殺された後、名目上の跡継ぎとなった大内義長が
貿易再開を求める使者を派遣したが、明側は彼を簒奪者とみなして拒否。
その後大内氏が毛利元就に滅ぼされると再開の目途は完全に途絶え、
以後、東アジアの貿易は倭寇らによる密貿易が中心となった
貿易再開を求める使者を派遣したが、明側は彼を簒奪者とみなして拒否。
その後大内氏が毛利元就に滅ぼされると再開の目途は完全に途絶え、
以後、東アジアの貿易は倭寇らによる密貿易が中心となった
467 :人間七七四年:2011/05/01(日) 16:41:09.05 ID:731tBxiO
武田信玄ではなく北畠顕家
468 :人間七七四年:2011/05/02(月) 14:11:56.73 ID:sh9n9spf
島原の領民を重税と暴政で苦しめてのちの「島原の乱」を誘発させた松倉重政だが、
彼はその前の大和十条藩の統治では労役免除、城下町整備などの
産業振興策を行ったことで領民から名君と崇められ、彼を称える祭りや石碑まで作られた。
彼はその前の大和十条藩の統治では労役免除、城下町整備などの
産業振興策を行ったことで領民から名君と崇められ、彼を称える祭りや石碑まで作られた。
469 :人間七七四年:2011/05/02(月) 19:50:29.81 ID:zH2j5gDA
へえー パクリじゃん信玄
470 :人間七七四年:2011/05/04(水) 15:26:28.49 ID:gBvp670o
ワロタw
471 :人間七七四年:2011/06/09(木) 17:38:29.46 ID:prjOB1D2
金の茶釜だけは焼け跡から掘り出された
472 :人間七七四年:2011/06/15(水) 15:56:15.30 ID:TFhOoI4D
この記録は今もやぶられていない
473 :人間七七四年:2011/06/15(水) 16:01:05.27 ID:hKufVc6C
474 :人間七七四年:2011/07/22(金) 15:16:28.75 ID:VU2gQ9yQ
鎌倉幕府執権を代々つとめていた北条氏のものより
高さを少し低めに作っている。
475 :人間七七四年:2011/07/22(金) 15:58:28.28 ID:VU2gQ9yQ
それでは足りないと不平を言ったために秀吉の怒りを買い、所領を一時没収された
476 :人間七七四年:2011/07/22(金) 20:51:41.56 ID:CC7OjXHI
477 :人間七七四年:2011/07/24(日) 13:39:38.27 ID:tol+mz+B
478 :人間七七四年:2011/07/25(月) 06:37:13.68 ID:Qp6I+pgd
「太閤さま軍記のうち」より。
479 :人間七七四年:2011/07/27(水) 18:51:21.91 ID:IUg9pvcb
!!?
マジか!
480 :人間七七四年:2011/07/27(水) 19:26:14.88 ID:BH09dtBe
特に問題はない。
481 :人間七七四年:2011/07/28(木) 00:30:24.53 ID:1xicTOBL
482 :人間七七四年:2011/07/28(木) 00:43:21.55 ID:XZIyubjB
前者は武家読み、後者は公家読み。
483 :人間七七四年:2011/07/28(木) 00:46:41.52 ID:7SkkWpoR
信長を「上総介」とか、秀吉の「藤吉郎」「筑前守」家康の「三河殿」「内府殿」とかの名称の方が
書物的にはよくみられる表記。
書物的にはよくみられる表記。
484 :人間七七四年:2011/07/28(木) 05:45:54.50 ID:3fV2yRXw
ついでながら苗字と感銘の最初の一文字とって
羽柴筑前なら「羽筑」みたいな書き方をしていた
485 :人間七七四年:2011/07/29(金) 08:12:40.91 ID:TuDaoMTU
どう見ても関ヶ原だろ
486 :人間七七四年:2011/07/29(金) 08:23:27.98 ID:TuDaoMTU
487 :人間七七四年:2011/07/29(金) 13:37:02.56 ID:FdN9a4jy
マジで? すげー興味あるわ。史料としてあるの?
488 :人間七七四年:2011/07/29(金) 13:42:48.59 ID:FdN9a4jy
っていう悔し涙の可能性もあるなw
489 :人間七七四年:2011/07/29(金) 14:26:34.25 ID:O7BMzCvk
「糞信長が死にやがったぜヒャッハー」
→「でも余を将軍にしてくれたのも信長だったよね・・・(ショボーン)」
→「あの頃は楽しかったなぁ〜みんな仲良くてさぁ・・・(涙」
→「でも余を将軍にしてくれたのも信長だったよね・・・(ショボーン)」
→「あの頃は楽しかったなぁ〜みんな仲良くてさぁ・・・(涙」
かも知れん。
490 :人間七七四年:2011/07/29(金) 15:44:28.57 ID:k7z3xGKa
491 :人間七七四年:2011/11/21(月) 00:18:27.21 ID:SZySJp7+
そんな義昭さんだったら超萌えるなw
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